きもの

第1回 有松絞り(名古屋)


●はじめに●
 昭和40年代までは、入学式や卒業式で見かけるお母さんたちの半数ほどは「きもの」でした。日常的にきものを目にした時代。今と何が違うのか考えてみると、きものに限らず、昔の方が服装のTPOが明確だったのですね。今はどんな場所にもカジュアルな服装で行く人が多いですが、当時は普段着とお出かけ着がきっちり分かれていて、「場」によって服装を変えるのが当たり前でした。それは、行く場所や会う相手に対する敬意を服装で表すという、大人の嗜みを誰もが持っていたからでした。

今、時流は「和」。日本文化を見直す様々な動きがある中、「きものを着てみたい」という人が増えています。日本全国には伝統的な美しい染織があり、手間隙かけた手仕事によって支えられています。どんな所でどんな風にきものが作られているかを知ることで、きものへの愛着が湧き、着てみたいという思いが深まるかもしれません。このコラムでは毎月産地を1つ選び、<日本の染織・きもの>の魅力をご紹介していきます。憧れのきものを、まずは知ることから始めてみてはいかがでしょうか。

■ 第1回 有松絞り(名古屋) ■

■ 有松絞りの歴史
名古屋から名鉄名古屋本線で有松駅まで約20分。有松は、江戸幕府の東海道整備に伴い尾張藩が慶長13年(1608年)に出した入植者募集のお触書きによって、阿久比から庄九郎はじめ8名が入植して誕生しました。名古屋城築城の折に豊後(大分)の方より絞り染を習い、その後この地域で工夫をし、今日につながる有松・鳴海絞りが生まれます。絞り染めは東海道の旅人の土産物としてもてはやされ有松は繁栄を誇りました。その様子は、北斎や広重の浮世絵に描かれています。

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100種類以上もある絞りの技術が様々な柄を創りだします

■ 高級品の代名詞「絞り」
布に施す最も古い染色技法の1つといわれる「絞り」は、世界中に3000年以上も途絶えることなく現代に継承されている技術です。有松・鳴海絞りは、400年以上の歴史を有し、先人たちのたゆまぬ創意工夫により生まれた100種類以上の絞り技法や染色技法により有松・鳴海地方は世界に誇る無類の絞りの産地として、世界中から評価されています。有松絞りというと藍染の浴衣のイメージを持つ方も多いかもしれませんが、総絞りは昔から高級呉服の代名詞。小紋から格調高い振袖まで様々なきものがあります。しかし、総絞りの着物には第一礼装に必要な「五つ紋」「三つ紋」が入れられないため、格は準礼装となります。振袖の場合は、未婚女性の略式礼装着なので、総絞りのものであってもフォーマルな席に来ていけます。

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様々な絞りの技を組み合わせた豪華な振袖

■ 金さん・銀さんも有松絞りの括り手だった
熟練の職人によるいくつもの工程を経て絞りは出来上がりますが、模様を決定する大事な作業が「括り」。布を堅く糸で括り、そこだけ染料が入らないように防染するのです。根気と熟練が必要な作業で、通常4〜5人の家庭へ次々と廻されて加工されますが、技法により様々な加工方法と異なった道具が使われます。ちなみに、あの金さん・銀さんも有松絞りの括り手だったそうです。括りが終わった布は専業の染屋によって各種の染色が行われます。その後、糸抜きをしますが、絞りの種類によっては1反に3〜4日かかるものも。何から何まで手のかかる手仕事の連続です。美しい有松絞りは、こうしてやっと1つの反物になるのです。

■ 美しい街並みも見どころ
 保存地区の規模は小さいながら、1本道の両側に古い町並みが連なり見応えがあります。尾張藩の手厚い庇護の下、目覚ましい発展を遂げ、全国に名を知られるようになった有松でしたが、天明4年(1784年)の大火で全村のほとんどが消失。大火後20年ほどで殆ど復興を果たしました。これを機に、旧東海道沿いの町屋は瓦葺に改め、うだつを設け、構造も塗籠造りとしたことから、現在見られるような商家が立ち並ぶ町並みとなりました。

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(左・右上)竹田嘉兵衛商店 (右下)歌川広重 東海道五拾三次「鳴海 名物有松絞」

 

《 今月のワンポイント:無地の帯揚げ 》

1118kimono_a.jpg洋服では、スカーフやアクセサリー上手に使いこなすのがお洒落の見せどころ。同じように、きものでも小物次第で同じきもの・同じ帯を全く違う印象に見せることができます。小物でキマるといっても過言ではないくらい。そこでおすすめなのが、縮緬の無地の帯揚げです。価格が手頃なので、使いやすい色を何色か集めておくと便利。帯の間に入れてしまうので、意外とハッキリした色を持ってきても派手過ぎず素敵です。

更新日:2020年11月18日(水)