きもの

第10回 初めてのきもの

■ 第10回 初めてのきもの ■

kimono10_a.jpg

祖母が裁縫に使っていた絹糸


着付もできないのに買った単衣

同居していた祖母は、きもので生活していました。私が小学生くらいまでは、朝起きたときにはすでに着替えてお行儀よく座っていたので、祖母の寝間着姿を見たことがないくらいでした。紺地や深緑の地の地味なきものに半幅帯を貝の口に結ぶのが定番でしたが、あれはどんなきものだったのだろう。祖母はきものの仕立てができたので、お小遣い稼ぎに知人のきものを縫ったり、母のために縫ったり、時には私や妹のために縫ったりと、いつでもお裁縫をしていました。きもの好きの母は、お出かけというと和装。入学式や卒業式はもちろん、授業参観日もきものでしたが、当時はそういうお母さんがクラスの中に10人くらいはいたのです。

 

そんなわけで、きものに馴染みのある生活をしてはいましたが、かといって大人になってから自分で着るようになったかというとまったくそうではなく、成人式で振袖を着て以来、40代半ばまではきものと無縁の生活をしていました。それが突然目覚めたのは、たまたま知人の染色家の個展でインドシルクを染めた生地で作ったきものを見たからです。彼女は普段は同じ生地で洋服を作っているのですが、その時は初の試みできものを作って着ていて、それを見たときカジュアルでいいなぁ、こんなきものなら着てみたいなぁと思ったのです。それで、着付もできないのに、紫の単衣とそれに合う帯を買いました。それが自分で買った初めてのきものでした。

kimono10_b.jpg
せっかくきものと帯を買ったのに、着付を習ったのはそれから2年ほど経ってから。ある時、着付教室の広告を見つけ、近所の友人を誘って教室に通い始めたのです。着付ができるようになると世界が広がります。一緒に習った友人がきもの仲間になり、用もないのに着てみたり、きもので出かけたり、きもの談義をしたりと、きものの楽しさにハマっていきました。そのうち着付けも15分か20分でできるようになり、洋服とあまり変わらない感覚で気楽に着られるようになりました。そんなこんなで、ようやくきものが生活に入ってきて、いざという時は和服という選択ができるようになったのです。いつか年をとったときに、祖母のようにゆるゆると楽に着られるようになっていたらいいなぁというのが今の目標です。

 和服のときに持つバッグ

kimono10_c.jpg
きものや浴衣を着るとき、小物のすべてを揃えようとすると、お財布もしまう場所も大変です。いかにも和装用というのは野暮ったい気もするし、第一モノが入らないのは困ります。私たちが普段バッグに入れて持ち歩くものは、財布、スマホ、ハンカチとティッシュ、メガネケースや化粧ポーチなど結構たくさんあります。小ぶりのきもの用バッグと布のトートバッグを併せて持ち歩くのをよく見かけますが、あれはどうもスマートじゃなくて好きではないのです。そんなことをするくらいなら、大きめの普通のバッグを1つ持った方がカッコイイ。そんなことも含めて、私は洋服のときに持つバッグをそのまま和服でも持つようにしています。もちろんショルダーバッグはNGですが、ハンドバッグであれば大きくても小さくても構わないと思います。浴衣に合わせるなら、やっぱり涼しげな籠がいいですね。山葡萄の籠は洋服でも浴衣でも使えるお気に入り。物がたっぷり入るところも便利です。
(文/レディ東京編集者 中島有里子)

<<< 第9回 夏きもので日本橋へ ←こちらからバックナンバーを読む事ができます

 

更新日:2021年8月4日(水)