きもの

第21回 足袋と草履


■ 第21回 足袋と草履 ■

足袋と草履


足袋と下駄・草履のこと

きものの時に当たり前のように履く足袋や草履。ある日ふと、「足袋や草履というのはいつからみんなが履き始めたのだろう」と思いました。誰もが履くようになったのは多分明治時代からなのでしょうが、では江戸時代はどうだったのかと時代劇のシーンを思い起こしてみますと、大抵は素足に下駄という姿。旅支度の時には紺色の足袋にきゃはんを巻いていたりします。でも、よく思い出してみると、武士がお城に上がるときには白足袋を穿いている気もします。考えてみたら履きものの歴史について、私はほとんど知らないことに気づきました。

江戸っ子の裸足は痩せ我慢だった

というわけで、足袋や草履のことを調べてみました。すると予想通り、今の草履は明治時代にコルクやゴムなどの素材が入って来たことで普及したのだということが分かりました。それ以前は下駄が一般的だったのですね。下駄の歴史はとても古いのですが、色々な種類が出来て庶民がファッションとして楽しむようになったのは、泰平が続く江戸時代のことでした。江戸の庶民は奢侈禁止の時代には質素な下駄、そうでない時代には塗り下駄や蒔絵の下駄など華やかなものというように、その時々の状況に合わせたお洒落を楽しんでいたようです。そして、さすが江戸っ子と思うのは足袋の話。既に江戸中期には木綿の足袋が普及していましたが、粋を好む江戸の町人は「足袋は無粋」ということで、冬でも下駄に裸足で通したといいます。いくらそれがお洒落だからといっても、江戸の冬は寒かったと思いますが、江戸っ子はそうして痩せ我慢していたのですね。ちなみに遊女も足袋は履きません。また、後に白足袋を流行らせたのは芸者さんたちだったそうです。

武家では女性は白足袋、男性は黒い足袋を普段から履いていました。そして、お城に上がる時だけは男性も白足袋を履いたのです。草履は多分藁草履だったのでしょう。

時代により履きものも変化

明治時代に定着した草履に足袋というスタイルも、時代によって少しずつ変化してきています。母が若い頃に履いていた草履は幅も細いし鼻緒も細く華奢な感じです。若い頃「草履は鼻緒が当たって痛い」というイメージがありましたが、それは鼻緒が細かったからなんですね。私が今履いている草履はどれも鼻緒が太いので足は全然痛くないです。今では台も様々、鼻緒も様々、足袋も色物あり柄物ありレースありで賑やかなことです。お洒落の幅がぐーんと広がったのは嬉しいことです。
(レディ東京ライター/中島有里子)


更新日:2022年7月20日(水)